安全保障論も「法の支配」に合致したものでなければ(2)

安全保障論も「法の支配」に合致したものでなければ(2)

 (3)日本では「法治主義」のことを誤って「法の支配」と言っている。「法治主義」の法は「法の支配」の法のことではない。政府与党等が議会で制定する法律や政府の命令や閣議決定などのことであるが、「法の支配」の法を否定するのである。つまり「法の支配」を否定する立場が「法治主義」である。

 具体例で述べよう。安倍首相は憲法9条2項を「軍隊の保持を禁止し、国の交戦権を認めていない」と解釈する。この解釈は正しい法(芦田修正論の憲法9条2項、憲法98条2項、国際法)に違反している。だけどこの解釈こそが「正しいのだ」としてしまうのが「法治主義」である。

 「法治主義」は「法の支配」を否定する。それは政府こそが最高位存在であり、政府が決めたことが「正義」であるとする立場、思想である。だから「法治主義」は国民に政府の決定に従順に従うことを求める思想である。「法治主義」は政府に従順な国民を造っていく(改造していく)悪の思想である。「法治主義」はそのように称してはいるが、「人(政府)の支配」の一種である。前近代国家の姿である。

 (4)「法治主義」の統治で教育・洗脳されてきた国民は、政府に従順な存在になる。国民は正しい「法の支配」の思想を奪われてきたのである。国民、この場合は保守的国民であるが、彼らにとっては安倍首相は全面批判してはならない存在なのである。そのときどきの保守的政府も同様だ。批判することはタブーである。

抜粋:大森勝久評論集「国家安全保障問題で「法の支配」の立場から安倍政府を批判し戦えない日本国民」
ameblo.jp/omorikatsuhisa/entry-1232825..

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