『0円の拳闘』告知 5月19日(日)22時頃~ 2024/05/17 20:08 Facebook에 공유 URL 복사 신고 『0円の拳闘』告知 5月19日(日)22時頃~世界を沸騰させたモンスター井上尚弥の劇的KO勝利の余韻はまったく収まる気配がない。5月19日が“ボクシングの日“だとご存じだろうか。72年前、日本初の世界チャンピオンが誕生した日だからである。 1952年(昭和27年)5月19日。終戦の残滓(ざんし)ある水道橋の後楽園球場。日本初のボクシング世界タイトルマッチは、東京ドームの前身、後楽園球場の特設リングで行われた。世界フライ級チャンピオン、ダド・マリノ(アメリカ)に挑んだ白井義男。白井は、トレーナーのアメリカ人アルビン・カーンとリングに向かった。王者マリノのトレーナーは、日系人のスタンレー伊藤だった。スタジアムには3万人の観客が詰めかけたという。72年前の世紀の一戦もテレビ放送はなく、ラジオの生中継だった。聴取率は83%。そして歴史的な試合の模様はニュースフィルムに残された。 終戦後、復員しジムで汗を流す白井。たまたまジムに立ち寄ったカーン博士と出会ったことが始まりだった。アルビン・カーン博士はシカゴ生まれで、GHQ天然資源局職員として来日、生物学の博士だった。白井の長い手足にボクサーとしての可能性を感じたのだ。当時の日本のボクシングはラッシュ一辺倒で、文字通り“拳闘”だった。カーン博士が考えるボクシングは「打たせずに打つスポーツ」。白井ならばそれを体現できると感じ、声をかけた。しかし白井は、戦争で腰を痛めていた。カーン博士は庶民には手が届かないステーキなど栄養価の高い食事で白井の肉体改造に着手。さらにアメリカの最新トレーニングを実践し、トップボクサーの映像を見せるなどして白井を育て上げた。数年前まで銃口を向け合っていた戦争当事国の日本とアメリカが、ボクシングというスポーツを介して交錯した。白井の時代1957年は、団体は1つで8階級(フライ、バンタム、フェザー、ライト、ウェルター、ミドル、ライトヘビー、ヘビー)。世界チャンピオンは8人しかいなかった。そして日本は、世界タイトルマッチの経験がなかった。コミッションもなく手探りでの開催を目指していた。 (FNNプライムオンライン記事より抜粋)